尾上菊五郎劇団音楽部は、六代目尾上菊五郎丈の市村座時代の楽部の系統を引くグループで、
尾上菊五郎劇団の公演とその主要俳優の出演する芝居の下座音楽と出囃子などを勤める。


また、時には中村雀右衛門丈、中村富十郎丈、中村雁治郎丈、片岡我當丈、他の方々の演目も
担当している。

部長(代表者)は七代目杵屋巳太郎。祖父は市村座時代の六代目尾上菊五郎一座の囃子頭
(初代音楽部長)を勤めた五代目杵屋巳太郎である、杵屋巳太郎は明治三十七年に襲名し
歌舞伎座の立三味線に昇進していた。

六代目尾上菊五郎が正式に歌舞伎座から二丁町の市村座に移ったのは四十一年十一月だが、
それ以前の三十七年ごろから田村成義が市村座の空いているときにここを借りて、当時若手
だった尾上菊五郎や初代中村吉右衛門らを中心に興行を何度か打っているので、
杵屋巳太郎もこのころから一緒に市村座に行く事があったと思われる。
尾上菊五郎が市村座に腰を据えるとともに杵屋巳太郎も市村座の初代囃子頭(音楽部部長)に
就任し、大正十四年に歿するまで長くその職を勤めた。

その跡を継いだのが初代柏伊三郎である、

柏流の柏の名はもともと尾上家の紋である<抱き柏>からとられたもので、宗家は尾上家である。
柏伊三郎は鳴物の初代柏扇之助の子で、幼少から三味線に長じ、六代目尾上菊五郎の後押しで
市村座の立三味線となるとともに、長唄の柏流の初代家元となった。
杵屋巳太郎亡き跡、市村座の二代目音楽部長を引き継いだ。
その後五代目富士田音蔵(唄方)、二代目柏扇之助(鳴物)、初代柏扇左衛門(三味線)らが
代々の部長を勤めた。昭和二十四年に六代目菊五郎が亡くなったあと、
尾上菊五郎の薫陶を受けた市川男女蔵(のち三代目市川左團次)を頭に、七代目尾上梅幸、
二代目尾上松緑、七代目坂東彦三郎(十七代目市村羽左衛門)らによって尾上菊五郎劇団が
結成され、尾上菊五郎の育てた邦楽部や裏方もほとんどそのままに継承された。

三十五年に初代柏伊三郎の門弟の柏要二郎(三味線方)が二代目柏伊三郎を襲名し、
五十一年に逝くまで長く部長を勤めた。
その跡を継いだ四代目松島庄三郎(唄方)が平成元年に亡くなり、
同年九月に現・巳太郎(七代目)が部長に就任した、三味線方で昭和十二年生まれである。

現在の主な顔ぶれは、立唄に杵屋巳紗鳳、和歌山富太郎、今藤六史がいる。
立三味線には七代目杵屋巳太郎のほか柏伊三郎(二代目伊三郎の長男)、杵屋巳吉らがいる。
このほか、附師には稀音家政吉次が健在で活躍中である。

こうした経緯からも明らかなように、この劇団は六代目尾上菊五郎の指導のもとに育てられ、
彼の得意とした江戸の世話物
、ことに黙阿弥ものの伝承を得意としてきた。 
歌舞伎の音楽が江戸の末期から明治にかけて黙阿弥によって発展と洗練をとげたことを考えると、
この劇団の伝統は今後ますます重要な意味を持ってくるであろう。また戦後のこの劇団による
「青砥稿花紅彩画」などの一連の復活通し上演も、重要な仕事である。



歌舞伎に携わる演奏家名鑑 社団法人日本俳優協会より抜粋